| 一番山笠 恵比寿流(えべすながれ) |
| 舁き山 |
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伝統を誇る流のひとつ。『博多どんたく』の起源でもある『博多まつばやし』にも、商売の神様、漁業の神様の”恵比寿”様とともに、町を練り歩く。博多五町横筋の綱場町、中間町、中石堂町と石堂川東側の蓮池町、官内町、上堅町、中堅町、下堅町、上金屋町、下金屋町、横町(いずれも旧町名)の計十一ヶ町で構成。これらの町を5ブロックに分けて当番町を回している。山笠は旧暦6月の祭りで、その名残りか、この流だけは今も6月1日に注連下ろし(辻祈祷)神事を行う。昭和40年代、博多部の都市の過疎化に見舞われ、流の維持に苦労したが、今では安定している。他の流に比べると舁き手はやや少ないが、山巧者が多い。当番法被、水法被とも各町で異なる。 現在の博多祗園山笠振興会会長はこの流に属する。
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| 二番山笠 土居流(どいながれ) |
| 舁き山 表 |
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| 智将幸村夏之陣 |
| ちしょう ゆきむらなつのじん |
| 中村 信喬 |
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追い山笠行事で、7本の舁き山が勢ぞろいする、櫛田神社前の土居通りに面した流区域。旧七流のひとつで、伝統を誇る。ただ、昭和41年の博多地区の町界町名整理で『土居町』の名が消え、当時の役員が流の解散を決め、存廃に危機に陥ったが、有志が土居流保存会を作って継承し、その後、流を正式に再興した。当番法被、水法被とも各町独自のデザインで、ほとんどが紺の久留米絣を用いており、一種独特の雰囲気が漂う。旧十ヶ町で構成。上新川端町、大乗寺前町、上土居町、中土居町、下土居町、片土居町、川口町、行町、浜小路町、西方寺前町で運営。古くからのしきたりが残った流でもある。
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| 三番山笠 大黒流(だいこくながれ) |
| 舁き山 表 |
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| 有麼深切報恩人 |
| ありや しんせつほうおんのひと |
| 置鮎 琢磨 |
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博多川右岸一帯の十二ヶ町で構成する。須崎町一区、須崎町二区、須崎町三区、対馬小路一区、対馬小路二区、古門戸町一区、古門戸町二区、川端中央街、下新川端町、麹屋町、寿通、川端町。伝統を誇り、しきたりが色濃く残っている。流の名称は江戸時代の古文書には「洲崎流」とあるが、現在は博多松囃子の大黒天に由来する。『博多どんたく』の先頭を行く、『博多まつばやし』では、流の面々は馬上の大黒天を中心に練り歩く。当番法被、水法被とも町ごとに異なっている。町総代が山笠流委員を兼ね、ひとつの町内が当番町を受け持ち、その年の当番町町総代が流総務を務める。大黒流独特の風習に11日早朝の祝儀山の際に、各町総代が麻の帷子、白足袋、草鞋のいでたちで御祝儀の膳を囲む。
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| 四番山笠 東流(ひがしながれ) |
| 舁き山 |
表 |
見送り |
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| 飛翔平和祈大願 |
| ひしょうへいわ たいがんをいのる |
| 室井聖太郎 |
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| 菅原伝授手習鑑 |
| すがわらでんじゅ てならいかがみ |
| 室井聖太郎 |
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| 素盞鳴尊蛇退治 |
| すさのおのみこと おろちたいじ |
| 室井聖太郎 |
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陸の玄関、JR博多駅から北に延びる大博通りの東側の区域で構成される流。昭和41年の博多地区の町界町名整理を機に東町流に呉服町流、櫛田流の一部が合流して新発足した。流内の融和を図るためもあって法被も一新。水法被は『東』一文字、当番法被は『縦筋』に統一した。流当番制を採用。町総代、取締らの役員で代表を選出。毎年正月の辧天講で、その年の総務を決める。昭和57年から「飾り山笠」も登場。13日集団山見せ出発点、呉服町交差点南東角に建てられる。”山笠台”は舁き山笠と共用で、舁き山笠行事の際は台を引き出し、別に用意した人形を飾る。
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| 五番山笠 中洲流(なかすながれ) |
| 舁き山 表 |
表 |
見送り |
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| 舁き山 見送り |
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| 聖天大聖飛天空 |
| せいてんたいせい てんくうをとぶ |
| 中村 信喬 |
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| 智謀真田勇戦誉 |
| ちぼう さなだゆうせんほまれ |
| 三宅 隆 |
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| 梅里博多人情噺 |
| ばいり はかたのにんじょうばなし |
| 中村 信喬 |
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中洲流の
山大工棟梁、人形師 紹介 |
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博多・中洲は西日本最大の歓楽街。その中洲1〜5丁目で構成する流。当番町は、5丁目から順番に1丁目へ。全体で受け持つ流当番と、町内が受け持つ当番町の合わさった流当番代表当番町制をしている。白い水法被に流れるような書体で、青の『中洲』が染め抜かれている。水法被、当番法被とも流で統一している。戦後、博多山笠が再興された際、旧博多七流に新たに五流が加わった。中洲流も新たに興されたが、町界町名整理で新旧の流が統廃合される中、一貫して『中洲』の名で参加してきた。山笠の伝統を守る姿勢には確固たるものがある。戦後、博多祇園山笠期成会結成当初より、飾り山を建て、舁き山の時には山台を引き出し、別の人形を飾って舁くやり方を継承している。夜のライトアップされた飾り山は、一段と映える。博多祗園山笠振興会で25年もその地位にあった二代目会長の井上吉佐衛門氏、さらに五代目会長の井上雅實氏と親子二代の会長を輩出している。
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| 六番山笠 西流(にしながれ) |
| 舁き山 |
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| 鍾馗煌明破魔剣 |
| しょうきこうみょう はまのけん |
| 井上 和彦 |
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| 大博通りの西側、東流と対面した地域。この流も昭和41年の博多地区の町界町名整理事業後に再編された。伝統の西町流に岡流、櫛田流、福神流、恵比寿流、呉服町流、沖浜流の一部が加わって、大所帯となった。一帯はオフィスが多く、サラリーマンの参加も少なくない。新町名による参加で、冷泉町上、冷泉町下、店屋町、綱場町、奈良屋町が順番で当番町を受ける。法被は新町名単位であるが、最近は旧町名時代の法被に戻している人も少なくない。山笠終了後の行事、山崩しには舁き手が競って、人形や飾りを奪いあいながら崩す。 |
| 七番山笠 千代流(ちよながれ) |
| 舁き山 |
飾り山 表 |
飾り山 見送り |
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| 持国天王護千代 |
| じこくてんおう まもるせんだい |
| 川崎 修一 |
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| 御笠川(石堂川)東側一帯の、千代小、千代中というひとつの学校区で構成されており、団結力は強い。昭和62年に千代小に子供山笠を贈り、この時期の学校行事となっている。平成2年には飾り山笠を復活させ、山笠に対する情熱はすごい。それに従って、ここ数年、『追い山』『追い山馴らし』と常に上位を確保している。千代校区も昭和51年に新町名に移行。三十数ヶ町が千代1〜6丁目に整理され、各町から選出された千代流運営委員会で、その年の当番町を決める。当番法被、水法被とも”千代”二文字で統一し、全体の一体感を印象づける。 |
| 八番山笠 上川端通(かみかわばたとおり) |
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表 |
見送り |
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| 碇知盛壇浦散華 |
| いかりとももり だんのうらのさんげ |
| 田中 勇 |
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土居流に属する、上川端商店街が建てている。『走る飾り山笠』として知られている。昭和39年、当時の役員が『昔はこんな大きな山笠を舁いていた。』と、舁き山笠行事の”櫛田入り”を発案。以降、12日追い山馴らし、15日追い山に櫛田入りでトリを務めている。勇壮で迫力がある。舁き手には、大学の運動部や愛好者、県庁職員らが参加し、このところタイムも上がっている。
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| 九番山笠 福岡ドーム |
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表 |
見送り |
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| 曽我兄弟狩場誉 |
| そがきょうだい かりばのほまれ |
| 三宅 隆 |
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平成12年から福岡ソフトバンクホークスの本拠地、福岡ドーム前に建てられる。この地区唯一の山笠として、異彩を放つ。山笠期間中の野球の試合は、山笠シリーズと銘打って、振興会役員が締込み姿で始球式を行なう。ドーム関係者も他の流の舁き山笠行事に参加し、地域密着に努めている。
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| 十番山笠 博多駅商店連合会 |
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表 |
見送り |
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福岡の陸の玄関口、JR博多駅前に建てられる。
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| 十一番山笠 キャナルシティ博多 |
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表 |
見送り |
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| 浦島博多を往く |
| うらしま はかたをいく |
| 置鮎 琢磨 |
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平成8年にオープンし、全国的にも話題になったスーパーや専門店、ホテル、映画館、オフィスの複合商業施設の中に建つ。モダンな施設と伝統美の演出には、来店の人々にも受けている
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| 十二番山笠 川端中央街 |
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表 |
見送り |
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| 山内一豊名馬誉 |
| やまうちかずとよ めいばほまれ |
| 中野 親一 |
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キャナルシティ、リバレインを結ぶ上川端商店街に建つ。大黒流に属する。
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| 十三番山笠 ソラリア |
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表 |
見送り |
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| 日中宥和徐福勲 |
| にっちゅうゆうわ じょふくのいさおし |
| 置鮎 正弘 |
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| 龍神海護輝金印 |
| りゅうじんかいご かがやくきんいん |
| 小嶋 慎二 |
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天神ソラリアプラザのビル内の吹き抜けに建てられる。色々な角度から山笠を見ることが出来る。平成3年開業当初、江戸時代に建てられていた”旗差し山”を再現していた。
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| 十四番山笠 新天町(しんてんちょう) |
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表 |
見送り |
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| 智略赫々倶利伽羅峠 |
| ちりゃくかくかく くりからとうげ |
| 亀田 均 |
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戦後、城下町・福岡に初めて建てられた山笠。昭和24年に誕生。新天町商店街も戦後の生まれで、商店主も博多出身者が多い。初めて、「シンデレラ」やアニメの主人公などの人形を飾った。福岡部の子供たちに山笠の楽しさを知ってもらおうと、子供山笠を作っている。革新的な山笠で、その意味で山笠を広めた功績は大きい。
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| 十五番山笠 博多リバレイン |
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表 |
見送り |
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| 母に捧げるラストバラード |
| ははにささげるらすとばらーど |
| 置鮎 琢磨 |
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平成11年、再開発事業”博多リバレイン”が出来たのを機に、以前の飾り山笠の「下川端」「寿通」が合併する形で生まれた。大黒流に属する。寿通では、昭和46年、子供山笠を作り、今は博多小学校で続いている。
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| 十六番山笠 天神一丁目 |
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表 |
見送り |
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| 天神菅公一代記 |
| てんじんかんこう いちだいき |
| 中村 信喬 |
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| 言論百三十年九州に立つ |
| げんろんひゃくさんじゅうねんきゅうしゅうにたつ |
| 井上 和彦 |
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平成17年、新たに飾り山笠が加わった。天神の新名所として、賑やかさを一層増す。
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| 十七番山笠 渡辺通一丁目(わたなべとおり) |
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表 |
見送り |
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| アニメ名探偵コナン |
| あにめ めいたんていこなん |
| 中野 浩 |
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かつて、「一丁目流」「南流」と舁き山にも参加していたが、中断を余儀なくされた。九電本社やサンセルコ、ホテルニューオータニなど商業施設があり、飾り山笠は、地区の人々の情熱がこれを支えている。
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| 番外 櫛田神社(くしだじんじゃ) |
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表 |
見送り |
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| 博多小女郎浪枕 |
| はかたこじょろうなみまくら |
| 中野 親一 |
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| 日本武尊草薙勇 |
| やまとたけるのみことくさなぎのゆう |
| 中野 親一 |
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山笠には番号があるが、この山笠は番外。飾り山笠も祭り終了とともに崩されるが、ここは観光用に一年中公開されてる。櫛田神社境内にあリ、自動照明・案内の設備があります。
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