博多祇園山笠

行事日程


総会
(そうかい)
祭りを運営する博多祗園山笠振興会では年5回、全流の代表者が出て、その年の祭りの細部について協議するほか、発生する様々な問題について提案、解決を図っている。また、各流の中でも年数会開かれ話し合いがされてる。「異議ありませんか、異議なし」となると「手一本」で終わる。そして、直会(なおらい)が始まる。

6月初め 承天寺夏祈祷
(じょうてんじなつきとう)
承天寺山門前には「博多山笠発祥之地」の石碑がある。仁冶2年(1241)承天寺開祖・聖一国師(しょういちこくし)が施餓鬼棚(せがきだな)に乗って、祈祷水(甘露水)をまいたとされるのが山笠の始まり。現在でも夏祈祷には振興会役員が出席し、山笠の無事を”仏様”に祈願する。神仏混淆時代の名残でしょう。
承天寺 山門前 石碑

それぞれの行事は、6月の吉日を選んで行われる。 小屋入り
(こやいり)
     小屋入り
山大工のところで、山台の材料や道具など、必要な資材を並べてお祓いをする。小屋入りや地鎮祭では、神職が清めをし、御幣(ごへい)を振って邪気を祓う。流や当番町役員も当番法被で参列、玉串を奉げて無事を祈念する。

地鎮祭
(じちんさい)地鎮祭
山笠を建てる場所を清め、安全な遂行を祈願する。

志賀海神社参拝
(しかうみじんじゃさんぱい)
    志賀海神社本殿志賀海神社本殿
江戸時代、国宝「金印・漢委奴国王」(福岡市博物館所蔵)が発見されたことで有名な志賀島の神社。箱崎宮のお汐井(真砂)は、志賀島から運んでいることから、そのお礼に参拝する。行っているのは中洲流だけです。

志賀海神社記念写真

中洲流役員の面々

6月中旬
山小屋建設
(やまごやけんせつ)
山小屋建設 山小屋建設
地鎮祭で清められた場所に、山笠を飾る小屋を建てる。市内に小屋があちこち建ち始めるといよいよ博多の街に祭り雰囲気が漂う。

山笠棒引換札 櫛田神社神庫
↑棒の引換札です。各流の棒が保管されてます。↑
棒洗い
(ぼうあらい)
棒洗い
山笠の6本の「舁き棒」を洗い清める行事。当番町が櫛田神社神庫に1年間眠っていた棒をベイサイドプレイス先の櫛田神社浜宮に運び、神官のお祓いのあと、海水を汲み上げ棒にかけ、荒縄やタワシでほこりを洗い落とす。

筆おろし
(ふでおろし)
筆おろし 筆おろし
筆師が、山笠の山台差し札などに書き物をする行事。

棒〆
(ぼうじめ)
前年の祭りのあと解いてた台を組み立て、舁き棒を取り付ける作業。山台には1本のクギも使われない。麻縄で固定し、少々のことでは緩まないように、「おやし棒」と呼ばれる棒を使い、しめあげる。「ボーしめた、ボーしめた」と掛け声が飛ぶ。出来上がると、うまく固定されてるかどうか山の出来を確認するために、「試し舁き」が行われる。
棒〆
棒〆
試し舁き
試し舁き

6月28〜30日
飾り付け
(かざりつけ)
飾り山飾り付け
流の若手が人形師の指示を受けながら、人形を取り付けていきます。
舁き山笠は7月9日までに準備できればいいが、飾り山笠は7月1日の祭り開始と同時に一般公開される。人形師が絵図を見ながら、流の若手が飾り付ける場所まで上がり、指示を受けて飾り付けていく。この時の指示に「右に、左に」では戸惑うことが多い。そこで昔から方向を、「福岡側へ」とか「箱崎の方へ」と地名で右左を表現する。
  人形師が指示をしながら↓博多人形師 三宅 隆 氏

7月 1日朝
御神入れ
(ごしんいれ)
御神入れ
祭り初日、市内各所に建てられた飾り山笠の前に流役員、関係者が集まり執り行われる。飾り山笠は博多人形師が腕によりをかけて製作されたもので、この行事で神格化される。櫛田神社の神官が祝詞を奏上、御幣を振って神を迎える。飾り山笠はこのあと一般公開される。

7月 1日朝
注連おろし
(しめおろし)
注連おろし 笹立て
流や町単位でそれぞれの区域を清める行事。町々に注連縄が張られ、辻に竹笹御幣が立てられる。辻祈祷(つじきとう)とも呼ぶ。

7月 1日 当番町(役員)お汐井とり その年の山笠運営を担う当番町や、流役員が流ごとに箱崎浜まで行き、汐井(真砂)を升やテボ(竹製の小さなかご)に入れて持ち帰る。汐井は家の玄関や詰所に吊るしておき、出かける際などに身に振りかけて清める。

舁山作り しおり、杉壁 人形師の工房で作られた人形を、山台に載せられるよう山大工、日雇方、人形師の手によって仕上げていきます。
博多人形師 中村信喬氏 舁山作り

7月初旬
子供山笠
(こどもやまかさ)
子供たちにも山笠を舁く楽しさと舁き手の育成を狙いに、大人の山笠が動き出す前、祭り前半に登場する。大人の山笠の3分の2のサイズで重量もある。博多小、千代小、新天町と3本ある。
子供山笠 子供山笠
子供山笠 大人顔負けの櫛田入りです。

7月 9日夕 お汐井とり
(おしおいとり)
いよいよ舁き山笠が始まる。その前に身を清めて、というのがこのお汐井とり。参加者全員が流ごとに山小屋に集まり、箱崎浜まで駆ける。沈む夕日に向かってかしわ手を打ち、浜で汐井をとる。箱崎宮と櫛田神社に参拝し、山小屋まで戻る。往復で10km近く走るので足ならしの意味もある。

7月10日午前 献花献茶式
(けんかけんちゃしき)

男野点茶会

(おとこ、のだてちゃかい)
献花献茶式 巫女の舞
野点
野点
櫛田神社拝殿において、献花(一晃流)、献茶(南坊流)が、振興会役員、宮総代役員など、出席のもと開催され、巫女さんの舞いも奉納されます。その後、野点があります。
南坊流南坊会が世話人となり、客人側に振興会正副会長、相談役、舁き山笠総務が締め込み姿に当番法被をはおった正装で招かれる。世話役に一番山笠の子供たち。「野点」(のだて)は千利休が博多で、秀吉臨席のもとに考案したと言われる。この故事にならった行事。”出陣”茶会といった趣。

7月10日午後
流舁き
(ながれがき)
西島伊三雄氏 追善 追善山
追善 西島伊三雄氏
山笠が動き出す。それぞれの流の区域内を舁いて回る。地域に今年の山笠をお披露目する。中洲流では、祝儀山(しゅうぎやま)と言い、町の長老や小さな子供たちも台上がりをし、町の隅々まで舁き入れる。また、前年の山笠が終わって亡くなった功労者がおられた場合、「追善山」(ついぜんやま)が行われる。遺族は自宅(店)前に祭壇を設け、遺影や着用していた当番法被などを安置して山笠を待つ。山笠を祭壇の正面に据えると、黙祷、博多祝い唄を唱和して故人を偲ぶ。本来ならばおめでたい席での唄ではあるが、「あの人も山のぼせやったけん、喜んどるくさ。」となる。

7月11日早朝 朝山
(あさやま)
人気のない町を舁き回る。夜明けの行事で見物客など殆どいないが、中洲には酔客がちらほら。
祝儀山を行う流もある。

7月11日午後 他流舁き
(たながれかき)
流の区域から出て、他の流の区域を舁く。「櫛田入り」の練習もする。

7月12日
 午後3時59分
追い山馴らし
(おいやまならし)
七流の舁き山が初めてそろう。文字どおり15日「追い山」のリハーサル。コースが1km短いが本番と変わりない。大太鼓の合図とともにスタートし、櫛田神社境内に立てられた清道旗を廻り、博多の街に駆け出し奈良屋町の廻り止めを目指す。タイムを「櫛田入り」「全コース」と計ります。この日の成績は流に持ち帰って「追い山」に生かされる。

7月13日
 午後3時30分
集団山見せ
(しゅうだんやまみせ)
山笠の楽しさをより多くの人にと、福岡市の要請で昭和37年から始まった。明治通(呉服町交差点〜アクロス福岡角〜福岡市役所)の約1.2km。商人の町・博多から、城下町・福岡に山笠が唯一、舁き入れる日。その昔から中洲は両方の交流の地であったため、山笠設立当初、市役所に表敬していた。この行事に限り、台上がりに福岡市長、議員、地元・中央の著名人が上がる。

7月14日午後 流舁き
(ながれかき)
流区域内を舁く。翌早朝の本番「追い山」に向けての調整。慣れない舁き手にとっては、舁く最後のチャンス。追い山では、殺気立ってて慣れない人にとっては、なかなか舁くことができない。終わると仮眠をとり、追い山集合時間まで鋭気を養う。中には、夜通し飲んでる者もいるが・・・。

7月15日
 午前4時59分
追い山
(おいやま)
櫛田入り
平成12年四番山笠中洲流櫛田入り
平成16年一番山笠中洲流
平成15年一番山笠中洲流櫛田入り
能舞台を向いての博多祝い唄
この一瞬のために博多祗園山笠一連の行事があるといっても過言ではないでしょう。午前1時頃より、櫛田神社前の土居通りに一番山笠より順番に二番、三番と山笠が据えられ、鳥肌が立つような緊張感の中、舁き出し時刻を待ちます。そして夜が明け始めた午前4時59分、大太鼓の合図とともに一番山笠が「櫛田入り」。山笠は、境内に入り、清道旗を廻り、能舞台に山笠を向け、観衆を巻き込んでの「博多祝い唄」の大合唱(一番山笠だけ)、終わるや、再び、山笠を担って夜明けの博多の街へ、須崎町の廻り止めまで約5km。必死に舁き、走る。二番山笠は5時5分、後5分おきにスタートしていきます。「櫛田入り」「全コース」とタイムを計りますが、別に1番になったからといって、賞金や賞品があるわけでもなく、無事奉納できたということだけです。

七流すべてが、それぞれの舁き山笠行事(7月11日〜14日の中で)を行っているわけではありません。
現在、全舁き山笠行事をやっているのは、中洲流大黒流だけです。(時刻表参照)  

7月15日
 午前6時
鎮めの能
(しずめののう)
追い山笠の櫛田入りが終わってから30分も経たない。興奮が残る中、低い鼓の音、高い笛の音とともに謡いが流れ、舞人が舞う。荒ぶる神を鎮める。喧騒のあとの静寂。古くは、七流のうち、ひとつの流が山笠の奉納を休んで務めていたが、明治末以降、福神流が担当。現在では神社の宮総代が担当している。

7月15日朝
山崩し
(やまくずし)
引き継ぎ
(ひきつぎ)山崩し
素山引き継ぎ
素山を来年の当番町へ
追い山廻り止めまで舁いた山笠は、それぞれの流に戻り、「博多祝い唄」「手一本」とあり山笠の無事終了となると、直ちに当番によって解体される。みんな口が重い。疲れているせいばかりでなく、何かしゃべると涙が出そうになる。飾り物は魔よけになると伝えられている。人形などは校区の学校に寄贈したりします。西流では昔どおりに激しく奪い合う山崩し行っている。飾り物を外し”素山”になった山笠は、そのまま来年の当番町に運ばれ、麻縄をほどき、「舁き棒」を櫛田神社神庫に保管される。また、流の役員立会いで、山笠に使った備品の確認をし、来年の当番町へ引き継ぎをする。そして、その年の当番町、来年の当番町は他の町内を廻り、「ありがとうございました」とお礼を、「来年よろしくお願いします」とあいさつをする。その年の当番町には、無事終わった安堵感と涙が、来年の当番町には、大役が待つ緊張感がある。